2005年 12月 11日
高校が阿佐谷だったので、卒業後も友人を訪ねてよく通った。ボクのジャズ鑑賞歴もちょうどその頃(1970年)から本格的に始まる。 そう言う訳で、友人に連れられて初めて入ったのが阿佐ヶ谷駅の北口にあった「毘沙門」。一階が中央に大きなテーブルが一つあるだけのスパゲッティの店で、その二階がジャズ喫茶だった。薄暗い小さな部屋を囲むように作りつけのイスと一人分の丸テーブルが7、8あったぐらいだろうか?そこでコーヒーに生クリームを浮かせて混ぜないで飲み、たばこを沢山吸い、ジャズをたらふく聴いてそのころの人生の大半を過ごした。若いマスターとちょっとくたびれたインテリ崩れのお兄さんと、女子美に在学中の化粧の上手なおねいさんが二人(同じ服装だったから、あれはユニフォームだったのだ!)、替わりばんこに店を切り盛りしていた。 当時はあまり興味のなかったジャズボーカルで、例外的によく「毘沙門」で聴いた一人がこのオランダのシンガー、アン・バートン(1933〜89)。こんな休日の夜にはくつろいだ気分の中で、彼女の歌声が当時の記憶とともにじんわり心に染み込んでくる。 ![]() ![]() ![]()
by nightly
| 2005-12-11 23:38
| 和蘭の歌手
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Comments(36)
ふ〜ん、ジャズ聴いてたんだ。ボクの1970年は完全にモーツァルトだったな。
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モーツァルトだったら、中野のクラシック?!きしむ床、安定しないテーブル、王冠のミルクピッチャー・・・、おしゃべり厳禁!って、そりゃ当たり前か!?
あはは。クラシックもついに閉店したらしいね。考えてみればライブなんてほとんど行けなかったのでレコード盤が物神化したへんな時代だった。・・・1970年前後のモーツァルト。次のピークは1974年のクリフォード・ブラウンと75年のコルトレーンかな。
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初めまして。突然のコメント、失礼します。
私は、毘沙門のオーナーの姪、「お姉ちゃん」の娘でMarikoと申します。 ふと懐かしく、毘沙門を検索してみた所、当時の写真を載せて下さっている、こちらのサイトにたどり着きました。 当時、母は20代だったでしょうか。 私も現在40代半ばで、母も伯父も、あちこちガタがきていますが健在です。 毘沙門を覚えていてくださって、ありがとうございます。
Marikoさん、初めまして。こんばんは。
最近とみに記憶が薄れがちの小生と致しましては、「毘沙門」、「お姉ちゃん」をキーワードに、一気に懐かしさが込み上げてきました。 この当時って、殆ど生産的なことはやっていませんでしたが、なんだか充実してました。 ボクの青春の阿佐ヶ谷、毘沙門であります。お母様によろしくお伝えください。 ![]() ![]()
nightlyさん、hahaさん、こんばんは。
レスポンス、ありがとうございます。 年齢を重ねるほどに、思い出が甦りますが、 当時、私は上の写真の厨房の隅にチョコンと座り、 母がピザを作る様子を眺めていた記憶があります。 おそらく、この写真は本人も持っていないと思いますので、母も見たら喜ぶと思います。 本人は今、田舎暮らしをしていまして、PCもありませんから、プリントアウトさせて頂いても宜しいでしょうか? 唐突にすみません。
Marikoさん、こんにちは
かなり宵っ張りのお方とお見受けします。ボクはもうダメですが・・・、うーむ。 さて、当時、お姉ちゃんはあくまでもお姉ちゃんであって、誰かの(Marikoさんの)お母さんだなんて想像もしませんでしたね。 そっか、お母さんだったわけですね・・・感無量。 もちろん良かったらプリントを見せてあげてください。そして何か思い出話でもあれば、またコメントなどいただけると嬉しいです。 ![]()
nightlyさん、こんばんは。
すみません、いつも夜遅くに・・・。 当時、「お姉ちゃん」に子供がいる事は、内緒だったかも知れません。 もう時効という事で、お許しくださいね。 写真の件、ありがとうございます。 早速、本人に見せようと思います。 また寄らせて頂きます。 ありがとうございました。
アフロ上手さん、阿佐ヶ谷が地元なんですか?!
しかし、ボクが毘沙門でカルボナーラを食している頃、貴君はまだ赤ちゃんでしたって!?・・・うくく。 ![]()
毘沙門 Jazz で検索してたどり着きました。懐かしくて書き込みさせていただきます。2Fには週一位で通ってました。このアン・バートンの青ジャケもかかってた気がします。
「化粧の上手なおねいさん」。ほっぺに特徴があって、個性的な顔立ち。そのおねいさんのファンで、通ってました。 ガトー・バルビエリのThe Third World、2Fのおねいさんも好きだったようで、よくかけてました。毘沙門以外であのLPを聞いたことは無かった。その後もあのLPを置いた店はありませんでしたね。 卒業、帰郷、就職、そして長い時間が経ち、忘れていました。 10年ほど前、NewYorkに2泊する機会があって、Jazz街に行きました。ある店の出演欄にバルビエリの名前があって・・・・。めまいがしました。全部思い出しました、昭和の40年代後半のこと。 下がスパゲティ屋さんだったことは、どうしても思い出せません。コーヒー代でせいいっぱいでしたから。 早稲田通りに移った毘沙門にも一度行ったことあります。2Fのおねいさんもまだ頑張ってました。あれは何年だったんだろう。 実は、手元に"The Third World"あります、ネットはすごいですね。たまーに聴きます。皆さんお元気でしょうね。
D60さん、こんばんは
こんな風に、ささやかで個人的な記憶が、ある時ある人の記憶とリンクするなんて! ガトー・バルビエリのサックス、ボクも好きでした・・・ 「The Third World」・・・懐かしい・・・ ![]()
何年かぶりの突然の乱入、失礼します。
その当時、私は毘沙門の1Fでバジリコを食べ2Fで思いに耽ることを繰り返していました。 MARIKOさんの事も何となく覚えています。オデオン座との間の屋台のおでん屋さんでのコップ酒、プチのコーヒーとマスターの山登りの話。思い出がたくさん。 毘沙門でよく聞いていたのは次のような曲でした。 Jean Luc Ponty - Sunday Walk,Round About Midnight Stephane Grappeli Phil Woods - Alive And Well in Paris,And When We Are Young Phil Warm Woods Quartet - In Your Own Sweet Way Chet Baker - Almost blue Chet Baker & Paul Desmond - Autumn Leaves Sonny Clark - Cool Struttin' Wes Montgomery - Round Midnight 最近は宮之上貴昭を聞いています。阿佐ヶ谷ジャズフェスティバルで出会ってから。 毘沙門がなくなった頃、ジャズは死んだ(フージョン系に移行して皆が聞かなくなった)という時代をすり抜けて昔の曲は聞いていますが、思い出だけでは哀しすぎるのでその後のPhil Woodsやらその当時あまり聞いていなかった山本潤子や来生たかお(ジャズではないし、よけい哀しくなるか)も聞いています。
violinist7さん、突然の乱入からずいぶん日が経ってしまいました。ごめんなさい。いろいろありまして・・・って、単に気力が萎えていただけなのかもしれませんが・・・。気を取り直して、続けようと思った次第であります。
さて、毘沙門を巡る追憶の旅は認知症を発症しない限りはまだまだ続きそうです。これからもよろしくお願いします。 ![]()
お久しぶりです。2008年秋に閉店した珈琲の店プチは、以前は隣の八百屋の向かいにあって、地元の人のたまり場だった。入るとカウンター席しかない狭いコーヒー屋で、隣の人との距離が妙に近い。1967年の冬に行ったとき、ひまそうなおじさん達の話で盛り上がっていた。おばさんは忙しいのだ、殆どいない、まるで今のトルコの店のように。マスターは山登りかハイキングに行くときチョッキを着て、山の話をしていた。奥さんもカウンターの中に居て二人で切り盛りをしていた。今の「よるのひるね」のあたりだったろうか。
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太宰治はプチには来なかったのではないだろうか。食べログのおすもう3の記事には「阿佐ヶ谷から天沼界隈に住んでいた太宰治、外村繁、青柳瑞穂など文士達たちも度々利用していたそうである。」とあるが、太宰は、戦前の昭和8-13年の期間に天沼にいたが、その後は小山初代と別れさせられ山梨で井伏を通して縁談のあった石原美知子と結婚し、山梨に居住しその後三鷹に移り住んでいる。プチの看板にある1947年頃には、憧れ近くに住んだ井伏鱒二とも何故か疎遠になり、戦前頻繁に将棋を指しに来ていた阿佐ヶ谷会にも顔を出していないようなので、プチに来なかったと思われる。プチの創業者森泰夫氏は1947年復員し、いくつかの珈琲店で修行され、1954年に、阿佐ヶ谷北のスターロードの今洋品店になっているRideau(阿佐谷北2丁目13−4)に最初の店を開いたようだ。正面から見て左側に、1967年当時ピアノ練習場であった2階に上がる階段が今でも残っている。この店のあと多分1972年頃、阿佐谷北2丁目1-7に移転して広くなった。今は娘さんが継いで武蔵野市吉祥寺北町1-19-1に店がある。太宰に話を戻すと憶測であるが昭和19年に亡くなった初代のことを忘れられなかったのではと思う。太宰と1940年頃から互いに好感を抱いていた2才年上の石井桃子(『ノンちゃん雲に乗る』で有名な児童文学作家)は、
井伏の「太宰君、あなたがすきでしたね」に対し、「それを言ってくださればよかったのに。私なら、太宰さん殺しませんよ」と答えた。 プチと太宰の話ばかりで失礼。太宰は『虚構の春』の中で「二十種にあまるジャズ・ソングの歌詞をしるせる豆手帳のペエジをめくり、小声で歌い、歌いおわって、引き出しの隅すみ、一粒の南京豆ナンキンまめをぽんと口の中にほうり込む。かなしい男なのです。」と書いている。あの、チョッキ姿で高い椅子にあぐらをかくように座って何かを聞いて笑いかけるような写真からして、毘沙門の時代まで生きていたら、この心弱い男はジャズを聞きに来ていただろう。 ![]()
「二十種にあまるジャズ・ソング~」の文言は太宰の言葉ではなく、白石生なる者の太宰宛ての手紙の中の言葉として、出てくる。(訂正)
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「斜陽」(1947年6月に完成)の中でかず子が、荻窪北口のおでん屋、阿佐ヶ谷北口から2丁ほどの小料理屋の「柳や」、西荻南口の「チドリ」と上原を訪ねて行くくだりがあるので、戦後、井伏と疎遠になり阿佐ヶ谷会には顔を出さなかったが46~47年頃は相変わらず、三鷹から阿佐ヶ谷あたりを飲みあるいていたのだろう。
「太宰治と中央線」(http://www.age.ne.jp/x/matchy/dazaityuohsen.html)にいろいろ掲載されている。 「笑いかけてくるような写真」とは、昭和21年秋、銀座のバー・ルパンで撮影された写真のことである。 戦後1948年6月13日に山崎富栄と共に玉川上水に入水するまでの間、将棋でなく飲み会に変わった阿佐ヶ谷会には顔を出さなかったが阿佐ヶ谷近辺を飲み歩いていたかも知れない。そうすると「プチ」との接点は微妙である。 1954年の記載は誤りであり、昭和54年(1979年)頃には八百屋の隣に移転していて、その前の2階が音楽練習場でバー風のプチは10年ほどしか営業していなく、その前は駅の南口だったとのこと(お嬢さんの平野さんによると)。森さんが1947年に復員し、珈琲店で修行し、いつ南口でプチを開いたのかは定かではない。今のパールセンタ入口近辺にあった将棋の会所で阿佐ヶ谷将棋会に戦前出入りしていた太宰は、戦後その近辺をうろついているとすれば、プチのマスターと森さんと顔をあわせていたかもしれない。 ![]()
病気でないか皆心配しています。nightlyさん、気力を振り絞っての返信を乞う。
violinist7さん、おめでとうございます。
いろいろとご心配頂き、恐縮です。 ひたすら映画を観、音楽を聴き、小説を読んでいましたが・・・ ぼちぼち再開する気力が湧いてきました。 今年も宜しくお願いします。 ![]()
ガトー・バルビエリが4月2日にニューヨークで83才で亡くなった。Adios Gato、Gracias por tu música、などの言葉がyoutubeで飛び交う。今、聞いているのは、Santana & Gato Barbieri "Europa" (live, 1977)。GATO BARBIERI & CARLOS SANTANA EUROPA & SAMBA PA' TIもいいけどね。なんと抒情的なことか。
violinist7さん、こんばんは
もうずいぶんレコードもそしてジャズも聴かなくなった小生ですが、最近ちょっとレコードプレーヤーのある家に出入りするようになり、押し入れの奥から手当たり次第レコードを救出中であります。そのうちガトーとも再会できると思います。合掌 ![]()
貴方と過ごした時間はとても楽しかったけど、貴方とはもっと生産的なことがやりた言われた日、それは「冒険者」なのか暮らしてやがて子供をつくることなのか、よく分からなかった。
violinist7さん、お久しぶりです。
気が付けば、センチメンタル・シティー・ロマンスな季節ではありますね。ボクの記憶は四十数年前の阿佐ヶ谷で止まってしまったような・・・。 ![]()
そうね、阿佐ヶ谷jazzstreetは終わってしまったし、”気がつけばこの街は寂しい街ね”。僕のコメントは「冒険者」のジョアンナ・シムカスの項に書いてもよかったのだけど彼女はもう75才、夫のシドニー・ポアチエは91才だとか。
violinist7さん、それでも年に1回ぐらいは訪れる阿佐ヶ谷ですが、駅の廻りはすっかり飲み屋街で、確かに寂しい街になりはててしまいました。
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初コメントです。早稲田通り近くにあった毘沙門に、学生時代かなりお世話になりました。お姉さんとバイトで働いてた可愛いい大学生が懐かしい。今になって、ジャズをアナログでがんがん聴いています。
nobuさん、初めまして。
たまに阿佐ヶ谷に出かけることがあるんですが、行くたびに毘沙門があったあたりをうろついては、郷愁に浸ってしまいます。やっぱり歳のせいでしょうか・・・。 ![]()
今年の阿佐ヶ谷jazz streetは去年ほどおもしろくなさそう。
violinist7さん、こんばんは
阿佐ヶ谷jazz streetはさておき、久しぶりに阿佐ヶ谷を訪ねてみたくなりました・・・。 ![]()
去年「ヴィオロン」に行ったら、中野駅北口近くにあった今や伝説になった名曲喫茶「クラシック」のオーナーで画家の美作七郎氏(1907~1989)について絶賛する五木寛之氏の原稿が入口近辺に飾られていた。
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中野のクラシックは大学時代に1~2回行ったきりだったように思う。当時は中野サンプラザはなく、国鉄の敷地内に家族アパートが建てられていた。中学に入った頃クラシックヴァイオリンとはオサラバした。大学の食堂の屋上で即興ヴァイオリンを弾いていた。だから大学卒業後、阿佐ヶ谷の毘沙門でジャン・リュック・ポンティを聞いた時こんなに自由で抒情的なヴァイオリン革命があるのかと少し救われた気持ちになったことを思い出す。
吉祥寺から阿佐ヶ谷、高円寺、中野。中央線沿線には高校時代の思い出が散らばっています。と言うか、もはや散逸してしまったような気がします。
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